日常に恋する日常

地方で暮らす平均的な人

焼きおにぎりに豊かさと永遠を見た

奥平さん推しすぎてすみません。笑

少し前に購入した「しあわせを創造するnote」を手にしてから、少しずつ本に書いてあることや良い気分でいることを、人生10回目くらいの仕切り直しとして(笑)実践しています。決意としては、もうこれで仕切り直しはおしまいにしたい(次の仕切り直しは生まれ変わった軽やかな自分でやりたい)と強く思ってます。

 

奥平さんの書籍はこれ一冊しか持っていないのですが、最近まで大手小町で連載されていたコラムにこんな記事が。

 

たった一杯のコーヒーがもたらす引き寄せ効果 | 大手小町

 

このエッセンスは先ほど触れた著書にも含まれています。

ただ、私、この「じっくりコーヒーを入れる」というような単純な行為を味わうことから、いわゆるマインドフルな状態や幸せを感じるところまで自分の気持ちを展開させるのが苦手で…

言われてることの理屈は頭で分かるけど、心では分からない。

ちなみに私、毎朝コーヒーはハンドドリップしてるけど、粉にお湯を少しかけて15秒ほど蒸らすことすらもちょっと我慢できないです(笑)

 

そんな私が、昨日、「もしかして…それってこういうこと?」と何となく腑に落ちる体験をしました。

 

昨夜は夫婦二人でバーベキュー。

汗だくになりながら美味しい海鮮や野菜に舌鼓。

ただ日が落ちても昼と大して変わらない体感温度。マジで暑すぎて目の前のものを食べるのに必死でした。笑

ようやくクールダウンしてきたのが、シメの焼きおにぎりを焼く時。

 

バーベキューで、出来合いではない焼きおにぎりを焼いたことある人なら簡単に想像してもらえると思うんだけど、焼きおにぎりって意外と時間かかるんですよ。

表面が固く焼けてきても、あの美味しいおこげが付くのには本当にじっくりじっくり、焼き面を変えつつじっと待たないといけない。

途中で我慢できずに「焼けたかな♪」と味見がてらかじろうものなら、そこからご飯がホロホロと崩壊したりしてめっちゃショックを受けるんですよね笑

 

私は焼きおにぎりをじっと見つめ、焼きおにぎりと向き合いました。

 

…数分たち、まだまだ、まだ焼こう…

 

 

じっと見つめて、ふと感覚が研ぎ澄まされた瞬間があり、

 

 

 

そこには、すべての豊かさがありました。

 

 

 

もう少し聞いてください。笑

 

 

 

翌日は仕事も休み。

 

珍しくオットも同じく翌日休み。

 

おにぎりを焼く私たちの周りには、

 

田舎の星空、

 

うるさいくらいの虫の声、

 

とてつもなく綺麗に黒く浮かび上がる周りの林の木々の形、

 

たまに肌にかぶさる夏の夜風、

 

新婚旅行で行ったジャマイカで買った、5年使ってもまだなくならない(笑)夏だけ登場する虫除けキャンドルの優しい香りとゆらめき、

 

いくらでもゆっくり流れて欲しい時間と静寂、

 

おにぎりが焼けるのを決して焦らない、じっくりと焼けるこの今という時間の尊さ、

 

隣にいるパートナー。

 

 

世界のすべての尊さがこの焼きおにぎりを焼いている時間にいっぺんに存在していました。

 

 

今って、なんて愛おしいんだろう。

この今が完璧で、すべての安心と心地よさがここにある。

 

 

私は、初めて、この世の豊かさ全てが自分の人生にあることを、自分の感覚として捉えることができました。

 

それはとてもとても素晴らしい感覚で、でも派手にやってくる感じじゃなかった。

 

 

何気ない、けど素晴らしい今の延長線上に自分の幸せがあるんだと、感覚で分かり、心で理解しました。

 

 

どんどん自分が軽くなっているのが分かって、気持ちいい。

(ちなみにスピリチュアル過ぎることは嫌いです)

 

 

それを気付かせてくれるのが、ある人にとっては

一杯のコーヒーであるかもしれないし、

好きなスポーツに打ち込んでる時かもしれないし、

ボーッとテレビを見てる時かもしれないし、

私みたいに外で死にかけながら焼きおにぎりを焼いてる時かもしれない。笑

 

 

ずっとわからなかったことがようやく分かりました。

 

 

「今、豊かさを感じる」「今が完璧である」が分からない人、大丈夫です。私は10年経ってようやく昨日分かったような感じです。笑 探し続ければ突然わかる時が来そうです。

 

なんだか、自粛モードで家にいることが増えた分、

分からなかったことを理解できるようになることも増えました。

 

自分の気持ちや生活を自分でしっかり舵取りしてる感覚があります。

 

 

今日は、焼きおにぎりの向こう側の世界から、ちょっと素敵な余韻を味わってます。