日常に恋する日常

地方で暮らす平均的な人

子供の頃の、自我の感覚

結論も特にないし、ただただダラダラ綴るだけの回です。

 

大人になるとは、自分というものを確立するということだと何となく空気で教わってきました。

 

でも、私って、自分って、なんだろう?

 

子供の頃、自分と肉体の乖離みたいな感覚に度々苦しみました。

 

強烈に覚えていること

  • 鏡を見て、「この映ってんの、誰だ?」と思う
  • そして、どうしてこんな顔でこんな肉体に入ってお喋りとかしてるんだろう?と思う
  • 頭の中でぐるぐる回る考えが、どこかから降ってくる他人の声のように聞こえ、うるさい!これは一体誰がお喋りしてんの!?と苦しむ(自分なんだけどね笑)
  • イジメに遭っている間は、今苦しんでるのは自分じゃないんだと、感情を魂的に切り離していた
  • 悩み事があった時、「そうか、最終的には自殺したらいいんだ」と思った瞬間、すごく頭の中の霧が晴れた

 

どれもこれも危ないヤツですね…笑

 

子供の時って、そもそもなぜ自分がこの地球に生まれて、頭で考えることができるようになって、毎日生活してるのかが分からないじゃないですか。

そこを子供ながらに考えてしまった私の闇も深いのかもしれませんが、中途半端な性教育(みんなは精子卵子が出会って生まれました。以上!っていう内容)を低学年時に受けたことで、一体自分はなぜ生まれて生きてるのか、更に意味が分からなくなりました。

 

今でもたまに鏡を見過ぎると危ない。

この肉体を斜め上から見下ろしてる感じになります。

私こんな車に乗ってたっけ?笑 というような感覚。

離脱してない幽体離脱、みたいな…(´-`).。oO

 

そういうのもあって、なんとなく魂ってあるような気がします。

死ぬのは怖いけどね…

死への恐怖心と生への執着は人一倍強い私です(笑)

魂があるのではと感じるからこそ、魂だけになった時が怖いです。

 

2001年宇宙の旅を観た時も、ラストは感慨深いを通り越して恐怖を抱きました…

 

2001年宇宙の旅のSkeeMの映画レビュー・感想・評価 | Filmarks映画

 

こういう気持ち忘れたくないので、記録。