日常に恋する日常

地方で暮らす平均的な人

みんな生きようとする

※癌の疑いで検査を進めたけど癌ではありませんでした、という私の独り言です。ご自身のお身体の状態と比べて相応しくない記事だと思われる可能性もあるので、その場合は閲覧をご遠慮ください。デリカシーにかける表現があると思います。※

 

最悪の結果癌だという疑いを告げられてから、Twitterのアカウントをもう一つ作った。

 

そこで知る、今まで私が知らなかった世界、病気。

告知を受けて前を向く人もいれば(もちろん涙を流したこともたくさんあると思う)、壊れてしまった人もいた。

 

なんで私が、なんで俺が、どうして…

 

こんな文字を追っているだけで私も相当辛かったけど、たった一人で病気と向き合うのも怖かったから、経験者や闘病中の方々の色々な言葉を拝見した。

 

私はがん保険に入ってはいたけれど、そもそも癌という病気について無知だった。

「がんは今や治る時代です」

こんなことCMで盛んに言う言葉ではないよなと思った。癌は完治ではなく寛解であり、何をもって治ったと言うのかも人それぞれ。同じ病名でもタイプが色々あり、私たちの外見が全て異なるように、罹患した後の経過も人それぞれとしか言いようがない。

 

すごくすごく怖かった。

何も手につかなかったし、この2ヶ月間人が変わったように不安定になり、四六時中、癌だった場合の手術や治療についてシミュレーションした。子宮や卵巣を摘出しないと最終的なステージだって確定しないんだ。仕事もギリギリだった。平日も休みもない。笑いはなくなり夫にも迷惑をかけた。出かけても病気のことばかり頭をよぎり楽しめない。家事は夫がいるから何とかできていた。一人暮らしだったら掃除も洗濯も食事も放置していたと思う。

 

けど、私よりずっと若い人たちが闘病しているリアルを目にして、私はなんとか人生の折り返しと言われる手前まで生きれたのだからそれだけで御の字、迫る死を受け入れる準備をしなければとも思った。

30代を経験できないまま亡くなる人だってたくさんいるのだから。

 

かたや、40代で罹患されて「なんでこんなに若い俺が!80代まで生きたい!」と日に日にどんどん心が壊れていく人もいた。私からしたら、40代をほとんど経験できたんだから私より全然いいじゃん、と思った。

 

とあるサイトには70代の方が「怖い、孫の成長を見たい、まだ死にたくない」と書かれていた。生殖器を摘出して子供も孫も見れず70代なんて生きれない可能性もある私に比べたら全然いいじゃん、孫を見れただけで奇跡じゃん、と思った。

 

とにかく、これまでに無い視点から命のリミットを意識して考えなければならないこの経験は私の精神を壊すのに十分過ぎた。それに結果的に私は無事だったのだから、もう弱音を吐いてはいけないという責任感が生まれてしまった。もっと辛い方々がいるのだからと。

 

この週末、数週間ぶりに服を買いに出かけ、一目惚れしたTシャツを一枚買った。こんな何気ない外出ができるようになるなんて、これを着たいという気持ちがまた出てくるなんて、それだけで本当に嬉しかった。少し日常が戻ってきた気がした。病理結果が出るまでは化粧も寝癖直しも服を選ぶのも何もかも無理だった。

 

けど、こんな経験をする前の自分にはもう戻れない。これをなんとか消化しながら生きていくこと、そして病気予防に努めても大病をする可能性があることを考えつつ歳を重ねるのはまた辛い。少しずつ楽しいことを考える時間の方が増えていったら良いな。