日常に恋する日常

地方で暮らす平均的な人

心が壊れました

年末に子宮体がんの組織診を受けたと書いたけど、年明けに疑わしい結果が出たので(子宮内膜異型増殖症の疑い、体がんステージ0)確定診断の為に入院して子宮内膜掻爬の手術を受けた。

 

最終病理結果として、癌や異型増殖症の所見は見られず、子宮内膜ポリープとの診断だったんだけど…(要は悪いものはありませんでしたということ)

 

総合病院送りになり、最終的な病理結果を聞くまでに2ヶ月弱。

ステージ0の場合でも全摘したら癌が併存している可能性も5割ほどということで、疑いの告知を受けてから2ヶ月かけて私の心は壊れた。

 

…というより、異常なしという結果が出てから本格的に心が壊れた。本当なら手放しで喜んで良いのにね。

 

心の状態はこうなったけど、私は一度死んだと思ってる。

 

歳を重ねること

明日が来ること

朝に目覚めること

食事を取ること

今、生きていること

 

全ては当たり前じゃなかった。

この出来事の前に思ってた誰もがいう「明日が来るのは当たり前じゃないよね、生きてるだけで奇跡だよね」と、今思う「当たり前じゃない」は全くの別物。

病気という崖っぷちに立たされかけて感じた「当たり前」の本当の意味は何よりもしんどく、多分この世の真理だった。

 

精神疾患を抱えてる人には申し訳ないけど、正直身体(しんたい)が健康であればトータルで健康といって良いと思う。

身体の健康を手に入れたくても手に入らなくなってしまった人にとって、生まれた時のように変わらず生理機能を働いてくれる身体って本当に貴重で素晴らしく羨ましい。結果が出るまで、私だってそれが欲しい、道行く人はほとんどそうなんだろう…など強く思った。

 

未来のために頑張るとか、ずっと先を夢見て生き方を考えるとか、そういう思考は全て、人が生きるという真理とはズレており違うんだなと感じた。

40代に入る前に分かって良かったのか?

でもこういう分かり方はしたくなかった。

辛いだけ。

 

心のスイッチが強制遮断されて何もできなくなる日が増えた。若い頃ごく短期間鬱を患ったことがあり、昔すぎて忘れてたけど、その時の感覚をなんとなく思い出した。

 

私の心は壊れた。

ただ、自覚できていることが幸いだと思う。