インターネットでパソコンのできる家庭がまだそこまで多くなかった頃
中学・高校と、かなりの地方で過ごしました。
まだ「技術」の科目でも、「パソコン」ではなく「コンピューター」という機械を触り、そんなものを持っている家庭なんてあっただろうか?
周りの友達でもそんなことを話題にする子はいなかった。
街でナンパされたら、ポケベルの番号をさっと渡されるような時代だった。
私も友達も学校ではそれなりにやんちゃしてても、ポケベルを持ってもいなかった(笑)どうやって繋がれっちゅーの??
そんな中、進学する高校を選ぶ時期。
そんな地方でも、全国でかなりのトップクラスの進学率を誇る進学校が、一番近所にあった。
あとから知ったことなのだが、親がこの地に家を建てたのも、全ては私をその高校へ行かせ、大学に遣るためだったのだ。
その頃、私はモーレツになりたい職業があった。
それは「スタイリスト」。
大人になったら、色んな雑誌でスタイリングを手掛けて、好きな服をコーディネートして、毎日忙しく過ごすのだ。
となると、都会に行くしかない。
大学なんて、中学に入るまで、法律でみんな行くことに決まってるんだと思ってた(笑)
でも、聞くところによると、大学は行かなくてもいいらしい。
知った時は、本当に目玉が飛び出るほど驚いた。
どうしてお父さんとお母さんは、大学へ行けって言うんだろう?
14歳の足りない頭で考えたが分かるはずもなく、将来の夢だけに心をときめかせていた。
やはり、夢を叶えるためには、都会へ行くしかない。
隣の県の地方都市(都会)にはおばあちゃんが住んでいる。
そこから都会の高校へ通って、卒業後は専門学校に通う。
こんな田舎でださい服屋しかない環境では、センスも変なまま大人になるだろう。
私は受験直前まで、進研ゼミの高校情報で、その隣の県の高校の情報ばかりを集めていた。
今みたいにネットはないから、全部郵送で請求。紙ベースの資料だけが積み重なっていく。
けど、親が下した非常な決断は、「家から通わないなんて許さない。」
と同時に、甘い言葉を吐く。
「高校へ行ってから考えればいいよ。都会には大学に行ってから出れるんだから。
大学じゃなくても、他の学校も選べるんだから。」
高校に行ったのに、話が違う
不幸にも勉強はできる方だったので、その進学校にも努力せずあっさり受かってしまった。
今でも忘れない、目玉が飛び出した出来事その2。
入学式が終わった後の第1回目のHRでの担任の一言。
「え~、君たちは、これから大学へ進学するために頑張るわけですけど・・・」
びっくりしすぎて肩が上がった。
周りの子を見ても、ふんふんと大人しく聞いている。
なんだなんだ、お母さんが言ってたことと違うじゃん・・・(汗)
疑問を抱きつつも、「まあ、私は専門学校へ行くんだし・・・適当でいいか」と言い聞かせながら1年過ごし、2年に進級する前に、文理選択。
なぜか親ともめた。
親は理系へ進めという。この時、理由を教えてくれなかった。
私は理系は全くダメで、文系はずば抜けて成績が良かった。
それもこれも、世界のランウェイへの道を神様が授けてくれたからだと信じて疑っていなかった(笑)。
語学力を与えてくれたのだ。突き進むしかない。
親はハッキリとは言わなかったが、知っていたのだ。
理系に進んだ方が潰しがきくということを。
そして担任は強烈に文系を勧めた。
「○○さんなら、文系でトップクラスの大学も夢じゃないから。」
また大学かよ・・・と思いながら話半分。文系に丸を付けた。
そして2年のクラス分け発表時。思わず冷や汗が出た。
なんと、特進クラスに入っているではないか。
特進クラスはテストも他のクラスと違い、教科の進みも格段に速い。
確か使っている教材も違う。
もう大学を受験するだけの人間として、センター試験に向かって2年間突き進むのだ。
部活から帰ってきて、疲れて寝てしまい、午前12時に目が覚め、夜中に泣きながら宿題をこなす日々が続いた。
宿題をしていかないと授業で、マジでヤバイ状況に立たされるのだ。
他の普通クラスの子たちは表情も穏やかだったが、うちのクラスはギスギスしていた。
この頃から友達とも距離を置き、学校行事は隙あらばサボるようになり、ズル休みをたまにするようになった。
あんな学校に行くなら死んでしまいたい。
それなのに、毎月のように模試があり、大学の合格判定がアルファベットで示され、面談がある。
勉強を優先するために部活をやめる子まで現れた。
隣のクラスの、同じくオシャレに興味があって髪の毛を染めて怒られた子は、学校を辞めた。
一体あの学校は何を教える学校だったのだろうか。
読めと言われていた本は赤本だった。
どこの大学へ行くかという面談でも適当に答えていたが、その頃は既に高校の雰囲気にのまれ、夢への意欲は失われていた。
「将来は英語を生かした仕事で会社に入りたいです」と言うようになっていた。
担任なんて、「ここの国立の外大は、2次に数学があるから厳しいね。けど、インドネシア語専攻(いわゆるマニアックな言語)なら入れるよ」という始末。
別に私が興味のない国の言葉を4年間研究しようが、担任は私の将来なんて知ったこっちゃないのだ。
この大学に入ってくれさえすれば、学校の「難関大学合格」という宣伝になるのだ。
特進クラスでも、東大を目指す子だって少なくない。
学校も楽しくないし、この田舎で生き生きと人生を楽しんでる人も周りにいない。
あの時、何かを諦めた自分がいた。
「追わない方が楽なんだ」
色んな生き方があるんだと知った「学校以外」での出会い
結局、わりと褒められる系の私大に進学した。
親は国立の難関大学までは及ばない私にがっかりし、地元の大学へ行けと言った。
期待外れだから、お金をかけたくないのだ。
私は号泣して抵抗した。一人っ子の最後の抵抗だった。もう、離れたい・・・。
都会は何でもあった。
都会に出る夢は叶ったが、なぜ都会に出たくなったのか、という欲求を結局自分で大事にできず、18歳になった。
けどそこで私は大好きな音楽のジャンルを見つけ、クラブに出入りするようになる。
そこで、世の中には、本当にたくさんの職業があって、いわゆる「会社員」じゃなくても、自分でレールを引いて頑張っていく人が人生を満喫している様子を目の当たりにすることになった。
田舎ではわからなかった。やっぱり、この世にはたくさんの職業があったんだ・・・。
私は情けなさに泣いた。
奨学金を借りて大学に行ったので、社会人になってから一人暮らしをして学校に通い直すという選択肢は、無い。
仕方ないのだ。
私はクラブでのみんなの出会いで自分に誓った。
これからは余計なことで悩まず、人生をせめて楽しんで生きていくことを。
奨学金を返しながら、会社員として働く現在
結局、会社員として就職したわけだけど、仕事はできる限り楽しんだ。
そこで与えられる成長の機会と出会いに感謝。
田舎にいた10代の自分は、今でも思い出すと可哀想になるくらい悩んでいた。
傷だらけだった。
幸せに生きる、ということに考えをシフトしてからは、自分の選択を後悔したことはない。
結婚してあっさり仕事を辞めた(今、転職活動中)時も、親や周りにやいやい言われた。
けど、もうほっといてほしい。本当にうっとうしい。(笑)
私はその時そうしたいって思ったことを、直観に従って選択するんだ。
これからも変わらない。
そうでなければ、数々の節目にショックを受けてきた若かった時の自分を癒せないのだ。
別に正社員じゃなくたって、楽しく生きる道を見つける。
となると、やっぱりいま思うことがある。
18歳、泣きながらうろたえていた自分に背中を押してあげたい。
「別に大学行かなくて良かったんだよ」って・・・
しかもこれまた、就職活動してビックリしたことがある。
文系で採用されるのは営業がほとんどだということを。
こういうことをきちんと教えてくれる高校ってあるんだろうか。
やっぱり今の若い子、ネット世代はすごい!
だって、田舎にいようがいまいが、色んな人の色んな生活スタイルを参考にできる。
気になるブランドの洋服だって、ネットでポチッとすればすぐ届く。
私は高校時代なんて、都会に遊びに行けた時になけなしのお金をはたいて買っていたけど、今は地元で頑張ってバイトしたら、交通費をかけずに雑誌と同じスタイリングができる。
凄く素晴らしい時代だなと。
やりたいことでご飯を食べていくのは簡単ではないけれど、少し調べたら、「無理」なんじゃなくて、「頑張ったらできるかも」という希望を与えてもらえる。
このおばさんからしたら、「そんなの無理だよ」「とりあえず進学すれば大丈夫だから」という大人の囁きが、くだらないものだと教えてくれるツール=ネット、があるのはとっても羨ましい!
世界が近くなったことで、世界各地で暮らす日本人の方々を取り上げるテレビ番組も多くなりましたね。これもスゴイ。色んな生き方が垣間見れるのは素晴らしい。
私たちの時はそんな番組、あったかな??
地方で民放も3チャンネルしか映らなかったので、知らないだけかな(笑)
もっと笑顔で生きていいし、辛くてもそこまで悲観しなくても大丈夫。
子供ができたら、そんな風に教えてあげたいです。
あとは・・・「今の若い奴ら」なんてワードは自分に禁じたい。
私たちなんて、しょせん「2000年問題」で世の中がどうなるんだと騒いでいた時代の若者。
今の世の中の方が情報も早く、情勢も不安定で、混沌としている。
自分ってもんがないとしっかり生きていくのが本当に難しい世代だなと思います。
だって、人の人生が簡単に覗ける分、逆に周りを気にしながら生きるスキルも問われますよね。
若い子の方がマナーがいいっていうのも、今の大人世代を取り巻いていた環境とは全然違うからなんだろうなと思ったり。
私たちよりも世界に近いところで生きている若者、めちゃめちゃ応援したいですね。