日常に恋する日常

地方で暮らす平均的な人

【続】天罰について思うこと

このブログの記事で、検索からこんな内容の記事にたどり着いて読んでくださる方が多くて、びっくりしています。

正直、これを書いたときは、ただの感情任せでした。

 

ryuohgrl2015.hatenablog.com

 

天罰はあるのか。

天罰は下されるのか。

 

ちょうど上の記事を書いた時、私は身も心も死にかけてすり減っていました。

精神的には人生最大のどん底

状況的には人生最大のピンチ。

しかも、そんな状況に陥ったきっかけは、友達ではないがある程度は心を許せていた知り合いからの信じられない仕打ちでした。

それは夫婦に降りかかってきたことでしたが、とある事情があり、この間夫は側にいなかった。

幸い遠方に住む信頼できる先輩に支えられ、このピンチを脱しました。

(先に言っときますが、決して不倫ネタではないですよー!!期待してる人いますか?笑ψ(`∇´)ψ)

誰かに顔を突き合わせて相談できることもなく、一人で裏切りとピンチに対応しました。

本当に孤独で、頭がおかしくなりそうで、ご飯も食べられなくなり、炭酸水でお腹を満たして眠る日々が1ヶ月。地獄でした。

 

 

さて、ここから2年以上が経過しました。

私たち夫婦と、支えてくれた先輩は元気でうまくやっています。

そして、裏切りの張本人はどうなったか。

 

答えは、

知らない

 

なんですよ…

 

なんなら、おそらく、そいつは今も相変わらず楽しくやってる可能性大です。(今はSNSと噂の組み合わせで、誰のことでも何となく伝え聞くからね)

 

でも、私は、「天罰が下される」のが目的じゃないし、「いつ天罰が下るのか」が知りたい訳でもないんです。

 

天罰が下ったらいいのに!!と思わせるほどの出来事をもたらされた時。

「この世は悪いことをしたら自分に返ってくる」というのは

=「きっと相手もこの行動に対して、いつか大きく後悔するほどのしっぺ返しをくらうだろう」

と信じて、自分が相手とは違う土俵で幸せな人生を歩んでいく為の、

その第一歩目のエネルギーとしての信条なんです。

 

多分、天罰って、下されるものだと思うんです。

私は、人生の帳尻は必ず合うものだと信じているからです。

ただ、その帳尻合わせは、神様がいつ実行してくれるかは分からないし、私の目に見えたり噂に聞いたりする形で下されるかどうかも分からないと思っています。

 

例えば、

時が経ち私の周りから親しい人が居なくなったとします。

そしたら私は「あいつ、ああなったらしいよ」っていう風の噂すら聞く機会はないでしょう。

相手が天罰を受けて反省したのか、酷い目にあったのか、孤独を味わってるのか、私は知る術がありません。

 

そして例えば、

(例えが悪いですが、あくまでも例え話として読んでください)相手が死の間際に私の生霊を見たとして(笑)あの時のことごめんなさい!!謝るから命を取らないでー!!と思ったとしても、私の耳に入るのは「あいつ、亡くなったらしいよ」という事実だけ。

天罰を受けて苦しんだのか反省したのかなんて、結局は、酷いことをしたその本人にしか分からないんですよね。

私が「亡くなるなんて…天罰だ…」と思えば、天罰は下った、ということになります。

でも相手が「死ぬ間際に何でお前が出てくるんだよ!うっぜーんだよ!!」と思って亡くなったとしたら、大して反省もせずに私の前から姿を消したことになりますよね(笑)

それでも、私がその「亡くなった」という事実を「天罰だ」と思えば、天罰になる訳です。

 

 

結局、天罰は何かしら下るんだろうけど、数ある出来事の何が天罰だったかなんて、私にも相手にも分からない。

 

 

 だから、誰かの影響で今とっても苦しい状況に落とされている人に伝えたいのは、

天罰はきっと下るから、あなたはそれを信じて、自分が幸せだと思える人生を自分の力で創り上げてほしい

ということです。

 

酷いことをされたのに、本当によく頑張ってこられたんだと思います。

それなのに、相手にもたらされる災難は、道でつまずいたり、犬のうんこ踏んだり、ホットケーキ焦がしたり、くらいの些細なものかもしれません。

あなたは、理不尽で悔し泣く日もあれば、フラッシュバックと怒りで何も手につかなくなる日もあると思います。

でも…きっと因果応報はあります。

けど、それは、あなたが望んだ形ではないかもしれない。

あなたが死ぬ前に果たされるものでもないかもしれない。

それでも、もし、「天罰は下る」と信じることで、前を向き、相手とは全く次元の違う清らかな心と道のりで人生を歩くことができるのであれば、是非そうして欲しいです。

「相手と同じ土俵に乗らない」と決めたら、後は、自分をとことん幸せにしてあげてください。

すごく残酷だけど、今相手について持っている恨み、怒り、これは相手には100%の勢いでは届かないんです。

 

怒り、恨み、悲しみを思いっきり味わったら、ふと、その時間って「自分の人生の時間」を消費しているんだと気付く時が来ます。

それに気が付いたら、そこから新たに立ち上がる為のエネルギーが必要です。

その時好きなことをし、部屋を整え、少しでいいので食べたいものを食べ、「きっと相手に天罰は下るから、私は私でもっと幸せになろう」と奮起する糧にしてください。

残酷だけど、人生ってもんは、起こったことを恨んでる間にも平等に時を進め、そして平等に歳を取るというシステムになっています。

自分の時間を消費して下を向いてしまうというのは、憎たらしい相手に返らない時間を捧げているのと同じことなんです。

人生は…誰も代わってはくれない。

これってとても辛いけど、逆に言うと、人生って感情任せのまま時間を消費するのも可能だし、一方で落ち着いて自分で舵を取って歩む仕組みも用意されてるということ。

ちなみに、どっちを選んでもいいんです。

自分がしたい方を選ぶのが人生の意義だから。

 

でも、いい方向に進もうとする時間の使い方をすれば、絶対に自分と周りの人を裏切らない。

その舵取りの第一歩として、天罰というものを信じていいと思うんです。

そうして時間が経てば、あなたは、同じようにどん底から人生の歩みを進めようとする人に対して、きっと優しく接することができると思います。

そして、あなたも、どん底の時よりも少しは良いステージにいるはず。

 

2年以上たち、私も、その時から、仕事や人生が全く違うものを選んでいます。

概ね良い方向に進んでいると思います。

時間と状況は必ず変化するので、ゆっくりと、自分の歩みを進めましょう。

私も、頑張ります!