日常に恋する日常

地方で暮らす平均的な人

インスタから3ヶ月消えてみてる

メインで更新してたインスタのアカウント。

そこには私の中学時代からの友達もいれば、大人になってから知り合った人々がそれぞれ楽しく自分の世界を発信してます。

 

私も、みんなの投稿を見るのが楽しく、

休憩時間に座ったらまずインスタ!

ちょっと手持ち無沙汰になったらインスタ!

遊びに行く行き帰りの電車の中でもとりあえずインスタ!

駐車場に着いて車降りる前、一息ついてちょっとインスタ!

家帰ってとりあえずインスタ!

 

と、数々の行動の切り替え時間にもれなくインスタを開くという行為がくっついていました。

 

自分自身でも、

「なんかこれインスタにアップしたい」っていう感覚

やら、

「なんかそろそろアップしてみたい」気分

がふと湧いてきたりして、1ヶ月に1〜2回程度の更新ペースではあるけれど、割と楽しんでいました。

いい感じに加工ができれば満足だし、いいねが多いとやっぱり嬉しいw

 

写真を撮るのも好きな方だし、インスタと自分を切り離すなんて考えてもなかったし、むしろ唯一と言っていいほど気に入ってるSNSです。

 

そんなインスタをもう3ヶ月は開いていません。

開く時といえば、眠ってたアカウントで、知り合いではなくおすすめに出てくる投稿を昼休みに見る程度。

つまり、メインアカウントの発信とフィードの閲覧をしていないんです。

 

こんなことを試したきっかけは、とにかく自分には毎日時間がないという焦りを感じたこと。

できれば毎日筋トレをし、更に1日10分でもいいから英語に触れたいけど、その時間すら取れない。

 

最初に書いた通り、とにかく私の色んな行動がインスタとセットになっている。

最低限の家事をこなしながらその時間を確保する為には、インスタ閲覧やスマホいじりをやめるしか選択肢がありませんでした。

(今のところ、家事効率の改善までは考えられてない。笑)

 

3ヶ月インスタから姿を消した結果…

得られたものは意外とたくさんあった。

 

  • 当初の目標である毎日筋トレはほぼ継続できてる
  • 他人のことがどうでも良くなった
  • 自分のやりたいことや欲望が第一だと思えるようになった
  • 自分と会話できるようになった

 

もう、私は親友の近況すら知りません。笑

でも、親友だからこそ久しぶりに会っても心の距離なんて感じないし、いいねしない=関心がない、なんて安易な解釈するはずがない。

近況を知らないからこそ、会えた時に話に花が咲きそうだし。

多分、私のことも、最近どうしてるかな〜コロナ落ち着いたら会いたいな♫くらいの感覚で思ってくれてるはず。

私だって、自分の投稿に親友からのいいねが付かなくたって何にも気になりません。

そもそも他人のことが気になりすぎるのは、その人を本当はよく知らず、中途半端な知り合いっていう関係性だからなんじゃないかと思ってきた。笑

 

自分のことに目を向ける時間が増えると、興味が湧く情報に対して敏感になるし、自分の心の声も聞こえます。

 

目前に控えた転職。

憂鬱だった日も少なくなかった現職ですが、いざ解放されると思うと、安堵よりも不安がいっぱいになります。

憂鬱ながらも慣れきった環境からまた新天地へ一歩踏み出す、小心者なのにその根性…笑

 

「これで良かったんだろうか?今日だってそれなりに仕事こなして帰ってこれたじゃん!」

という心の囁きが毎日聞こえます。

 

それに対して、もう一人の自分は

「なんか、よく分かんないけど、新しい方へ進んでも大丈夫な気がするし、今より自由になれると思う。確かに履歴書にツッコミどころの1行は増えた。(笑)でも、進むというワードに対して、背中を押されたり、ワクワクするような感覚が強い。もう決めたことだし、これでいいんだ。」

と返答する。

こんな風に自己会話でモヤモヤがだいたい完結するようになってきました。

 

心の安定は自分で作るしかない。

 

知り合いの近況は気にならなくなりましたが、

ながら時間や隙間時間にYouTubeがないと落ち着かなくなりました。笑

TVしかない時代だったらつまらないチャンネルしかない時間帯は「見ない」という選択が容易にできますが、

YouTubeなんてもう自分の好きなもの選び放題じゃないですか…

これ中毒になるなって言う方が難しいですよね…(笑)

 

時間を作れば、新しい誘惑もそこにスッと入ってくる。

そのせめぎ合いに折り合いをつけて自分をコントロールしていくのが、人生の永遠の課題なんじゃないかって考えたりもする今日この頃です…。