日常に恋する日常

見たもの、考えたことや感じたことを記し続けることで、知らないじぶんが見えてくると信じている30代のじぶん掘り下げ日記。

あつあつ、むき出しの感情

昨年退職した職場の女性たちに誘われ、久しぶりにご飯で再会しました。

辞めてもこうして声を掛けて頂けるのは本当にありがたいなぁと思います。

ほぼ同年代で3人揃っていたのも、奇跡だなぁ。

 

その時、その中の一人が、とある行動が元で、パートのおばちゃん(とても元気な70代)に≪突然≫怒鳴られたという話を聞きました。

「前々から思っていたけど、こんなことするな!」と。

彼女がした「こんなこと」は、何も常識違いのことではありません。例えるなら、「黄色の花が好きな相手に、誕生日に赤色の花を贈り続けて、○回目の誕生日でぶち切れられた」というような出来事でした。(もう一度言いますが例え話です)

「黄色をくれるくらいなら二度と贈ってくれるな!!」という感じの怒りを突然浴びたそうです。彼女のショックは相当なもので、上司が見ていておばちゃんの行動について謝られたものの、誰もその方にはおかしいと注意できなかったようです。

 

「上司でさえも注意できない」というのは問題ですが、そんなことは社会人になってからよく見てきました(もちろん良くないことです)。けど、私がびっくりしたのは、その沸騰したアッツアツの感情をいきなりぶちまけ去って行ったというそのおばちゃんの行動。優しい時は優しいだけに、まさかいきなり扉開けて怒鳴り散らすとは。

 

ちなみに、「繁忙期で忙しくイライラもしていた」ことがおばちゃんの沸騰にも一役買ったそうですが、その言い訳にも驚愕。マグマのように燃えた湯を急にぶっかけられた方のショックはもの凄いでしょう。

 

この「あつあつ、むき出しの感情」を急に吹っかける人は一定数います。この件のように一方的な考え、○○ハラ、生徒が先生に対して、毒親、反抗期の子供、etc。でも、どんな理由があれ、相手の準備が出来ていないところに罵声を浴びせるのは反則だと思います。

 

驚愕した彼女はやはり何も言い返せず、ただただビックリし、とっさに謝ってしまったそうです。となるとおばちゃんの反応は予想通り、「ふん、もういいわ!」。言いたいことだけ言って立ち去ってしまい、話し合いもできない。で、ほとぼりが冷めた頃に「あの時はごめんなぁ~」で終わらせようとする。

 

この「あつあつ、むき出しの感情」を吹っかけられるパターンは大体決まっているような気がします。職場や家庭や恋愛など場面問わず、「もっとこうしてほしかったのに、いつもあんたは思うようにしてくれない!!」という怒りをもって急にどやされるわけです。なんなら「誰々さんが困ってるやないの!」と自分以外の誰かの意見を強烈に代弁してくるお世話焼きさんもいます。笑

 

 

この「あつあつ、むき出しの感情」って、行動としては「キレる」「どなる」「カッとなる」「熱くなる」という激しい行為に変化すると思うんですが、

 

 

正直、下品。

 

品がない。

 

私の理想の「人間像」は、何かを伝えるときは、自分の渦巻く感情をしっかり噛みしめた上で、いい言葉のチョイスをしてから相手に差し出すことが出来る人。

別に私は美しい外見ではないけれど(笑)、だからこそ、年齢に相応しい伝え方ができる人が、いわゆる「品」を纏っているのではないかな・・・とこの一件で感じました。

 

ぐつぐつに沸いた感情を相手に投げている自分、それで相手をやり込めようとしている自分を映画のように引きで想像してみると、やってもないのにめっちゃ恥ずかしくなります。やってもないのに(笑)

 

私もすでにいい大人。常に冷静であること、冷静に相手に寄り添えることができれば、今よりも少しは人間的に成長するかなぁと期待を込めて、もう半分過ぎた今年の目標に「冷静さ」を加えました。遅!!

 

自分に対しても、誰かに対しても、冷静に、優しく。

余裕のない時こそ、自分の一方的な熱さで誰かを傷つけていないか、立ち止まるべきだなと思いました。

 

最後、「立ち止まるべき」を「立ち止まるべ」と東日本の方言風に書いていたのに気づき笑ってしまいました。こんな平和な自分を保っていたいです。笑