日常に恋する日常

見たもの、考えたことや感じたことを記し続けることで、知らないじぶんが見えてくると信じている30台のじぶん掘り下げ日記。

天罰は下るはずなので、同じ土俵には上がらない

はめられた。

今も現在進行形ではめられている。

 

先月、こんな頭のおかしな奴かつ裏切り者がマジでこの世に存在するんだな、って出来事に巻き込まれました。

 

人生初、あまりの衝撃に、巻き込まれていた1ヶ月ほどご飯が食べられなくなり、生気もなくなり、正直、その辺の記憶があんまりない。よくこの状態で仕事行ってたなと思う。

 

そいつはいまだにこちらを悪者にするのに必死になっていると噂で聞いた。

そして味方を増やす為に、あちこちで教祖様をしている。

有る事無い事脚色して、色んな人に垂れ込んで。

 

今まで信じていた人でさえも疑わしくなるこの状況、とてもしんどい。

 

けど。

 

 

 

因果応報という言葉があるけれど、これは本当だと思う。

それは私自身が人生で何度か身をもって実感してることでもある。生きれば生きるほど、歳を重ねるほどその実感は濃くなる。

引き寄せの法則でも、「自分が発したものは自分に返ってくる」のは基本中の基本。

 

正直、そいつとそいつに洗脳されてる取り巻きのことを考えたら吐き気がするほど気持ちが混乱する。けど、神様は必ず見ているし、悪いことに対してはきっと天罰が下るはず。いつどんな形でかは分からないけど、人生、みな必ず帳尻が合うようにできているんだと思う。

 

そうじゃない、という考えの人も沢山いるだろうし、そういう人はある意味それだけ貴重で苦しい経験をしてきたのだろう。

けど、私も私なりに、因果応報や天罰だと思う出来事を経験したり見たりしてきた。

だから、単純に、悪いことや人を騙したり陥れる事をした人は、結局他人に同じ目に遭わされるか、誰からも大事にされなくなるような絶望的な出来事が必ず起こるはずだと私は信じている。

エゴの裏では誰かが傷つく。そうなると他人を傷つけた分だけ、自分に同じような何かが返される。因果応報まっしぐら。そこで初めて自分がしたことの愚かさや、傷つけた人の気持ちを知ることになる。

 

けど、天罰が下るまでの間、のうのうと笑って呑気に人を貶めながら暮らす相手が視界に入ってきてしまう。(特に私はインスタやツイッター…)そこはぐっと我慢。

 

ありがとう、あんたみたいにはならないよ、と心の中で笑って、少しずつあいつの記憶を手放すのだ。恨むのではなく、手放す。恨むと胃も痛くなるしウツになるし、健康に良くない。

 

お前は好きなところへ行って好きに語ればいい。

必ず天罰は下るのだから。

 

真実というものは受け手により異なる解釈がされるが、事実はひとつ。きっと事実に基づいて神様からの天罰が下るはずだ。(もちろん自分に下るという可能性も十分ある。事実をどう見るかは私と相手では180度違うが故に対立し、お互いが悪いと思っているのが今の状況だから。)

 

だから、天罰は神様に任せて、私は違うステージに行く。うっかり同じ土俵に上がって、同じ階層(レベル)に落ちない。もう違う次元に生きるのだ。くだらない幻想の仲間には二度と会わないし、関わらない世界で生きていく。

 

自分で意識的にステージを変えてレベルを上げる、さっさと相手より高くて高貴な場所へ行く。そして相手のことを忘れる。いつまでもこだわらない。

 

すごく難しい。許しとも取れる行動。

けど、これがきっと誰も傷つかない、私が下す平和な天罰だ。