今思えば、私は人生の節目節目で泣いていた。
私は一人っ子だ。
今でこそ珍しくないとは言われるが、小さい頃、周りの大人が「一人っ子なのね」と声をかけるのには、決してポジティブな意味合いが込められているわけではないことを何となく理解していた。
小学生の時に見た社会の教科書には、中国の一人っ子政策の弊害がオブラートに包むわけでもなく並べられていた。
競争心がない。わがまま。自立心がない。
あぁ、私は競争心が無くてわがままで自立心がないんだ。と思った。
同じ頃、友達に、「○○ちゃんがあんたのこと性格悪いって言ってるよ」と告げられた。
やっぱり私は性格が悪かったんだ。これからは、とにかく「ごめんね」を言おう。卑屈になるくらいが女子にはちょうどいいんだ。
と言い聞かせたけど、心はなんだかすっきりしない。でも、どうしていいか分からず戸惑い、泣きながらそう決意した。
私は幼稚園を3回、小学校を4回変わっている。
転園・転校先ではなかなかなじめず、引っ越して1か月間は毎日学校から帰っては、ドラえもんのように押し入れに閉じこもってわんわん泣いていた。
子供の世界にだって、どこの地域にも特有のできあがった子供たちの雰囲気があるものだ。
転校したての頃は泣いて泣いて泣きまくったけど、重い足を引きずりながら学校へ通った。
そんな中友達に言われた「性格が悪い」は相当に堪えた。
本当に性格が悪かったからなんだろうけど(汗)
そして中学校に進学し、今度はいわゆるスクールカースト的なモノに馴染めず泣いた。
けど、負けず嫌いな性格もこの頃は幸いし、まだ楽しく通えていた。
今度は県内でも有数の進学校に進んだけど、自分が決して本心から行きたい高校ではなかった。親とのバトルに負けたのだ。
そこは陰湿な県民性に加えてみんな頭のいい子たちだから、いわゆる表だったイジメは一切ない。誰も嫌な顔をして相手に接することをしない。
ただ、マイルドにテリトリーを作るのだ。マイルドに友達を選別している。
あまり嘘の付けない私はこの気持ち悪い雰囲気に非常に戸惑い、入学早々自分の立ち位置を作るのに失敗した。
ここでも私は1年間ほど泣き続けていた。
クラスも馴染めない。部活も中学校から同じものに入ったけど、全国大会出場が当たり前の学校で、周りのみんなが全員上手い。レベルが違いすぎる。中学校でちょっと褒められたからっていい気になっていたけど、すぐに自信を喪失した。
家では違う高校に行きたかったと泣き、部活では入って3ヶ月目で辞めたいんですと先輩の前で泣いた。
結果的に部活は継続して大きな大会もいっぱい出て、自分の財産になったので、「辛くても頑張っていれば何とかなるのかもしれない」と、日本人的なガッツの魂が植えつけられた。
そしてまた親とのバトルに負け、大学に進学した。
ここではとっても田舎くさい私は、都会の大人びてオシャレな同級生たちに驚愕し尻込みした。
ダサくて化粧もそこそこの私は、当然また自分の立ち位置を作るのに失敗した。
というより、高校で嫌というほど上っ面の友情の気持ち悪さを味わったのに、その苦い経験を活かし切れなかったのだ。
ダサい私はクラスメートに自分から声をかけるのもかなりためらってしまった。
完全に自分のせいだけれど、1年間は同じ高校から進学した同級生以外に新しい友達が全くできず、一人暮らしを始めた部屋で泣き続けた。
そして同じ地元から一緒にこの地方都市に出てきた彼氏も、引き寄せてしまったのか、なんと私を生き写したかのようにネガティブだった(笑)。口癖は「地元に帰りたい」。
もうこのころの心は黒くて淀んでいて、辛かった記憶はあるけど何をしていたのかの記憶がない(笑)。
こんな彼氏といては自分がだめになりそうで、関係を絶って、少しずつ自分から友達を作り始めたりバイトを始めたりした。少しずつ状況は上向きに。
それでもやっぱり私は何か起こるたびに泣いていた。
そんな私は自分でももう「節目で絶対ピンチになって泣く」というパターンに陥ることが予測できるようになっていた。
案の定、あっという間に始まった就職活動では、売り手市場だったのに全然採用してもらえず、8月の暑い時期になってもまだスーツを着て泣いていた。
そんな私も、転校で鍛えられたのか、笑顔を作るのは得意。
判断力を失いつつある中、旅行会社の営業として採用された。
遠い昔に何となくわかったような気がした「頑張っていれば辛くても―」の根性で仕事も何とかなると思っていたが、案の定、ここでも私は崩壊し、新卒で採用された職場を2か月で去った。
自分がどうにかなりそうで、自殺防止の相談電話などにもかけてしまう程冷静な判断能力を失っていた…というより、「これ以上ここにいては自分がおかしくなってしまう」という思いだけが自分を動かしていた。
今まで生きていた中で最も戸惑うくらい、自分がおかしくなっている。
入ってみたメンタルクリニックでは、「少し休めば」「実家に帰れば」「まだ仕事に慣れていないからだね」という答えしか返ってこなかった。
今冷静に思えば、私が崩壊するだけの要素は会社側にもたくさんあったのだろうけど、同期で入った友達は実に冷静に飄々と仕事をこなしていた。
私は「仕事」として割り切って仕事ができなかったのだ。
どうして私はこんなにダメなんだろう。
また、気が付いたら泣く羽目になっていた。
根性がないのか。こういう運命なのか。弱いのか。
どうして節目を乗り越えられないんだろう。
次に入社した会社では、何を言われても頑張った。というより、もう頑張るしかなかった。
実家にも帰れない、お金もない、とにかく運命に乗ろうと泳ぎ続けて10年。
夫と結婚することになり、一旦会社員生活の船から降りた。
そして案の定(案の定を何回繰り返すのか・・・)、また私は新しい仕事に馴染めず毎日泣くことになった。
でも、私は自分の人生が駄目だったとか、しょうもなかったとか一切思ったことはないです。
むしろ、小さい頃から今まで、大泣きしながらかっこ悪くても生きることだけは放棄しなかった。
始めての就職先では、本当に死にたいと思いつつも、どこかで生きることだけは止めてはいけないと、朝が来たら必死で仕事に行っていた。
10年間続けた会社員生活でも、嫌なこと辛いことは沢山あってそのたびに泣いていたけれど、それでも生き続けた。
今の会社の仕事内容も合わずにたまに泣き、客に理不尽に叱責されて家で泣き、現場のオッサンに八つ当たりされてまた悔しくて泣き、これからの家計を考えると辞めることもできずに泣き、
色んな事に直面して、泣きながらもここまでやってきた。
大人なのに泣いてるなんて恥ずかしい?
恥ずかしい、いやぁそりゃ恥ずかしい。(笑)
でも、恥をさらしてでもここまで生きてきた。
今度は子なしハラスメントに直面して泣いている。
職場の子持ちの急な欠席で自分が残業になり泣いている。
子なしハラスメントって想像以上につらい。でも、何とか生きている。
恥ずかしくても、泣きながらここまで生きてきた。
泣いている思い出を振り返るたび、人生に逆に後悔がない。
ここまで色々ありながら、私、生きてきたんだー!!!って、逆に元気になれるようになりました。
だから、もう、何があっても生きてはいける。
小学生の時にいじめに遭ってた頃や、進路に悩んでいた高校生の時や、まだまだ自分が若いと思っていた大学生の頃には分からなかったけど、自分が生きていたという事実だけが自分を元気にしてくれる。
「なんてダメなやつなんだ」と自分を責めるのはもうやめましょう。
そう思っている人がいたら、いますぐ辞めて。
私はこれまで書いてきたように、泣きながら鼻水たらしながら生きている、あなたより相当ダメなやつです(笑)
でも、ダメなやつが今こうしてここまで日々生きてきたっていうのは、自分にとっての財産。自分しか褒めてあげられない。
実際、色んなことに直面しながら今「生きている」。素晴らしいことです。
志望校に落ちた?資格試験に落ちた?失恋した?正社員になれない?
全て、あなたが今そんな目にあっても「しっかり生きている」という事実に比べればどうでもいい、取るに足らないことです。
泣いていますか?
素晴らしいことです。
多くの人が悩まないことかもしれないけど、そのことについてあなたは泣くほど真剣に考えている。
それだけであなたはすごく尊い存在です。
大人なのに泣くって、恥ずかしいけど、恥ずかしくない。人生に真剣に立ち向かっているからこそ泣くんだと思います。
泣きながらも明日には頑張って笑って生きている、平凡な大人が、私は大好きです。
月曜日からも適当に、いきましょう。