日常に恋する日常

地方で暮らす平均的な人

正しい生き方って何だろう

先日、転職の面接を受けてきました。

 

その前に転職エージェントに登録してたのですが、その担当さんいわく、

「転職の面接は割と和やかですよ。」

と仰ってたので、それだけを信じていきました。

ちなみに先日受けた企業はそのエージェントを通したわけではなかったので、

完全に自分の体一つだったんですけど。

 

そのあとの筆記試験が散々だったので(文系だし、今更数学の公式なんて・・・問題を見た瞬間、頭真っ白)、あとは祈るのみですが、確かに面接自体は和やかでした。

 

ってかまだ全然受けたって言えるほどの面接数ではないんですが、新卒の時に比べたら断然喋りやすかったです。

 

新卒の時って、仕事のイメージはないままに、

「入ったら何がしたいですか?」

「この仕事大丈夫ですか?」

「あんまり人を指導できそうな印象じゃないけど、どうかな?」

とか聞かれて、挙句の果てには

「君一人っ子か。・・・ったく・・・(首をかしげる)」

とか言われて(怒)。

 

※この一人っ子侮辱発言をした役員がいた某楽器店には二度と足を運んでません。

私が一人っ子なのは、母の、そしてうちの家庭の大きな事情があるからです。

いくら接客業とはいえ、生い立ちを否定するようなこういう質問は完全に侮辱。

圧迫面接という言い訳なんて許されないと思ってます。

 

 

思えば新卒の面接のときに聞かれた質問なんて、みんな同じ答えで締めてた。

「(部活、バイト、サークル、等々で)諦めないことの大切さを学びました」

とか、そういった感じ。

面接官がどんなに理不尽な態度取ってきても、就職しなきゃ(やみくもにエントリーするから「ここで働きたいから」ではない)っていう思いで、悔しくてもガマンする。

本当に、学生の皆さんの色んな葛藤と苦労を考えると、当時の自分と重ね合わさって、涙ながらにその気持ちを考えてしまう。

 

 

それが今、「社会人経験があって働いてきた自分」で勝負すると、あの時の就活で受けた色んな悔しい思いが嘘みたい。

仕事と自分をきちんとセットで見てくれる。

学生の時は、上から目線で選別され、落とされるたびに心が折れる

けど、転職の面接では、選考に落ちても「向こうとこっちの条件が合わなかっただけか」とさらりと流せる。

「大人VS学生」が「大人VS大人」になった途端に、こうも雰囲気が変わることと、

自分も強気になれてしまうことにビックリした。

 

自分が強気になれるのは、「これまで働いてきた自分」を、自分自身が誇りに思えるからなのだ。

 

なんだかすごく新鮮な気持ちでした。

 

 

そして私は大学に進学したがために、正社員神話に未だに毒されている。

 

 

収入も大事だけど、それよりも健康。

収入も大事だけど、それよりもやりたいこと。

「仕事を見つける」ということだけに囚われてたら、やみくもにエントリーして玉砕を繰り返していたあの時と一緒だ。

 

10年も経ったのに、呪いのようにのしかかっている。

バイトでもいいかな、と思って求人サイトを見ていても、知らず知らずのうちに正社員カテゴリーを見てしまっているのだ。

 

安定を重視する人はいいとしても、私は、正社員を経て離職した今、次に進む道はなんでもいい。

心身ともに健康でいられる働き方でいいと思うんだ。

どうせ次も雇われるのなら、自分を大事にする生き方をしないと、何のために生まれてきたのか分からない。

 

 

これを機に、残業自慢、忙しい自慢の友人とはきっぱり距離を置いた。

忙しいことに美徳を感じているならそのままでいればいい。

私は、どうせなら、次も「残業が多くても楽しい」と言える仕事がしたい。

 

 

「苦しい思いをしてこそ一人前」の日本社会の風潮には心底うんざりしている。

それは苦しい思いを自ら志願したのではない。

「苦しい思いを強いられて耐えるのが一人前」なんだ。

苦しみすら他人任せ。社畜を皮肉れない人はそんな感じなんだろう。

 

 

せっかく生まれたのだから楽しく働いて生きていきたい。

転職は、自分らしく生きる絶好のチャンス!

今まで頑張ってきた自分と、これからも頑張る自分に胸を張って、

自分らしく働けるスタイルを明るく探していこう。