日常に恋する日常

地方で暮らす平均的な人

オタクになりきれなかった史

幼少期

知り合いのお姉ちゃんが読んでいた「りぼん」が気になり、親にねだって毎号買い始めたのがこのころ。

周りの友達はとにかく「ふろく」に夢中になっていたが、私は漫画自体が好きで好きでたまらなかった。

絵を描くのも好き。

「りぼん」の漫画の絵を真似して描くことが好きに。

 

小学校低~中学年

ますます漫画にはまる。

親の事情で転校ばかりしていたが、文通が続いた子が何人かいた。

その中の一人の子とは、マンガ好きというところで気が合い、自作漫画を送りあっていた。

A4サイズのノートを半分に切り、一枚一枚コマ割りをし、十何ページほど完成したらホチキス止めし、手紙本文と同封。

あまりにも力作なので、切手料金が+10円になる(重量オーバー)ことも多かった。

内容はれっきとした「連載」。主にファンタジー。

手紙が届くたび、どんな話の展開になっているかとワクワクした。

絵だって、お互いどんどん上達していった。

後にも先にも、めんどくさがり屋の私が、心から好きだと思って続いたのは、この漫画と習字のお稽古だけ。

この点を見落としていたこと、いまだに少し後悔している。

小4の時に通っていた小学校のクラブ活動では、「漫画クラブ」を選択。

これくらいの年齢では、漫画が好きな子や絵を描くのが好きな子が普通に仲良くしていた。

東京近郊の小学校だったのだけれど、田舎から引っ越してきた私にとって、カルチャーショックばかり。

かなり前から中学受験を意識して塾に通いまくってた友達、劇団や合唱団に入っている友達、モデルをしている友達。とにかく周りがきらびやかでスゴイ。

けど、まだまだ10歳そこら。みんな、分け隔てなかった。心地よかった。

漫画クラブにもこういう子がいたし、私もみんなと仲が良かった(と思う)。

とにかく私は「セーラームーン」にはまっていた。

一人っ子だったので、「りぼん」「なかよし」「ちゃお」を毎号購読。

親が甘すぎる、と今では恥ずかしい。お母さん・・・。

電車で十数分の駅にある「アニメイト」でセーラームーングッズをねだり、「アニメージュ」を買ってもらう。

今月のアニメージュの付録、おそ松さんじゃないか・・・!!ほ、欲しい・・・!!

そこから「スレイヤーズ」にもドはまりし、頭の中は常に妄想モード。

中二病の幼いバージョンみたいな病にかかっていたことは間違いない。

将来は漫画家になると、もうこの頃には決めていた。

進研ゼミの赤ペン先生のあれ。シールをためてもらえるグッズの中に、漫画家入門セットというのがあり、迷わずリクエスト。

届いてみて試したら、愕然。

不器用でトーンが上手く貼れない。

この頃から、美術の色塗りがなんか変だったり、小5から始まった家庭科では、料理・裁縫ともになんだか不器用なことに気が付いてきた。

ただ、成績は良い方だったので、自分が不器用ということを認められなかった。

とにかく、完璧主義ではないのに見栄っ張りという、一人っ子の悪い例を全て集めて体現したような子供だった。

絵と手先の問題はあったけれど、作文や読書感想文などの文章を書くのは得意だった。

まあ、うまい読書感想文を書く子供は、「~だと思いました」という文章については2割程度しか「~だと思ってない」。大人を惹きつける書き方のコツがあるんだ。

そんなこんなで、女子にはありがちだが、私は必然的に、一時友達に嫌われていた。

そこで自分の性格の悪さに気が付き、ちょっとどう振る舞っていいのか悩んだ時期があった。

そんなときにはいつも漫画。

現実を忘れることができる。なんて楽しい世界が広がってるんだろう。

舞台は空想世界、遠い未来の中学生・高校生。

自分がとっても可愛いお姉さんになった気分だ。

微妙なお年頃になるにつれて、ちょっと恋愛ものの描写にみんなが真剣に顔を赤らめながら食いついていた。(笑)

 

小学校高学年

そうそう、マンガに加えて、小説も流行りだした。

みんな、折原みと先生や、小林深雪先生とかの小説にキュンキュンし、教室は回し読みの嵐。

女子の誰しもがあんな胸キュンの未来が待ち受けていると誤解した(笑)。

matome.naver.jp

が、ここからみんなちょっとずつ、大人になっていくんだ。

私はその時の分岐の様子を物凄くリアルに覚えている。

SMAPの人気も絶頂、そしてKinki Kidsのデビューを機に、女子は一気にジャニーズ路線に。

私もだいぶませていたから、一気にアイドル好きになり、読む雑誌はアニメージュから「Myojo」に変わり、音楽のヒットチャートを追いかけるようになった。

そんな女子たちは、自分たちよりも大人しい子とは距離ができていく。

つい1年ほど前にはみんなで盛り上がっていた漫画やアニメ雑誌は、「ちょっと変わった大人しい子たちが読むもの」に分類されてしまった。

OLIVE des OLIVESUPER LOVERSの服を着ているのがステータス。

もう誰も、マンガの話題は出さなくなっていた。

出したのは安室ちゃんのまねで、ヘソ(笑)。

それでも、私はまだ少し、自分のいた世界に未練があった。

だって、教室の一角では、他の友達が変わらず漫画を読んだり、絵を描き合って遊んでいる。

この頃はまだ、かろうじて、誰とでも分け隔てなく仲良くできる女子だったので、自分の気分によって休み時間を過ごしていた。

ヒットチャート組と体育館に行く時もあれば、漫画組とアツく語ったり情報交換をしていた。

ただ、ヒットチャート組の読む漫画は、「ふしぎ遊戯」や「スラムダンク」等、大人にシフトしていった。

そんな中私の頭の中はまだ4割程度妄想モードで、小6になっても、担任との交換日記で、自作の漫画のストーリーを披露したりしていた。

担任の返事は「自分の夢を追いかけてね!」という、何とも当たり障りのない言葉だったけど。(笑)

 

中学生になると

ヒットチャート組に身を置き、本当に好き勝手やりうるさい生徒として3年間を送った。

ただし、私はひそかにズルイことをしていた。

漫画組とはもう交流することはなかったが、ひそかに漫画や小説は読み続けていた。

夏休み中の汗だくの部活が終わると、本屋に寄って、スレイヤーズるろうに剣心封神演義ふしぎ遊戯、等々をこつこつゲットし、クーラーの効いた部屋でゆっくり読むのがなにより至福のひと時だった。

ただ、中には、隠れ漫画組がいた。

「おいおい、お前もまだ実はそうだったのかよ~!!」みたいな。

彼女らとは学校においてマンガの貸し借りをずーっとしていた。

けども、学校生活においては、漫画組と交わることはなかった。

つまらない見栄に流されて本当に後悔している。

思春期はこれまでの友達までカテゴライズしちゃって、目立ったモン勝ちっていう見えないプレッシャーがある。

けど、そのプレッシャーと戦っているのは、ヒットチャート組だけであって、漫画組は変わらず好きなことを追求し続けている。

中学校になっても、もう私たちが分からないような漫画や小説を休み時間に読んでは絵を描いていた。

「あいつら、暗いよね」「マンガだよ」という会話に参加していた自分も今となっては恥ずかしいけれど、結局、大人になった今でも、自分が漫画に熱中したみたいに熱中できたことがないのだ。

卒業時の宿題として、原稿用紙15枚に渡って、自由主題で作文を書くというものがあった。

私は、今まで抑えてたものを全部吐き出すかのように、「自分がこの15年間いかに漫画が好きで、漫画からパワーをもらって、将来は漫画家になりたい」という流れで、国語の先生に提出した。

先生の返事は「あなたの漫画に対する情熱が本当に伝わってきて・・・」だった。

あんだけぶつけて伝わってない方がおかしいともいえる。

けれど・・・結局、将来はこのままの「オタクになりきれなかった私」程度で終わってしまうことを、私は無意識に予想していたみたいだ。

作文はもう手元にはないのに、こういう一文を書いたのを、今でも覚えている。

 

「でも、自分に向いていないとわかったら、すぐに別の道を探したいと思います。

他にもやりたいこと、向いていることが、きっとたくさんあると思うからです。」

 

私は何故か英語がすごく得意で、ヒットチャートを追いかけるうちに洋楽にも興味がわき、「将来は英語を使って働いて、外国へどんどん行って、発展途上国で頑張りたい。国連で働こう。」とも思い始めていた。

でも、こんな一文を書いてしまうあたりが、国連で働く為に努力をする人物であったり、途上国で活躍できる人材ではないことを物語っている・・・。

結局、やりたいこと、向いていることを見つけて、情熱を傾けて、職業にしてはいないんだから。

中学卒業の時に、漫画家になりたいって、数年越しに自分と向き合って思ったのにね。

 

その後

それでもその時は国連で働くと思っていた(笑)ので、高校は県外の、海外留学制度がある高校を希望したものの、親の大反対により、近くの進学校へ。

中学入学と同時に親が家を建てたのだけれど、実はこの進学校へ入学させるためだったと知って、しばらく親を信じられなくなった。

その進学校でも、文系の特進クラスになってしまい、「とにかく大学へ!」モード。

ヘアメイクの専門学校へ進学したかったけれど、ここでも自分の気持ちに蓋をし(親の大反対もあったけど)大学へ進学。

結局、卒業後は一般企業に就職し、31歳で結婚し、転居に伴い退職。今、無職。

あんなにアツい作文を書いたのに、結局、そのあとはその自分に蓋をして、偽物の意気込みで、色々と周りのせいにして生きてきてしまった。

どのみち不器用だし、何かを継続するのも苦手だし、漫画家になれたとしても、「絵が下手で話も良く分からない」超不人気な漫画家になっていたであろうことは予想ができるけど(笑)

けど、漫画が純粋に好きだった、という自分を極めればよかったんじゃないか。

結局、文通していた友達とは、私が中学生になり部活が忙しくなったことで、返事を出さなくなってしまい、交流が途絶えた。

今思えば、漫画は描かなくても、手紙だけ出すこともできたはずなのに。ヒットチャート組のもたらす勘違いからくる、最低の対応だと後悔してる。

そして今は、悲しいことに、あの時のオタク精神が蘇らない。あの時とは色々と違う自分になってしまってるのだ。

だから、オタクを公言して、心の底からマンガ&アニメオタクライフを送っている人を見ると、とっても羨ましいし、応援したくなる。

スレイヤーズのリナちゃんみたいにスタイル抜群になれると信じていた中学校時代は、自分で言うのもなんだけど、まさにスタイル抜群だった。

けど、自分が本当に好きなものからズレ出したときから、思春期特有の、パツンパツンのスタイルになってしまった。

部活帰りに寄るのが、本屋じゃなくて、買い食いする商店になっちゃったんだよね~・・・(笑)

こうして真のオタクになりきれなかった30オーバーの私は、コミケの様子や、可愛い女子がコスプレして楽しんでいる様子を、ひっそりと眺めつつ応援しているのでした。

 

旦那は、この私の心の葛藤を知ることはない。いひひ